「SNS依存」と「孤独死の恐怖」の共通点

お金や地位を求めて頑張って働く人は多い。しかし、医師として患者さんを見ていると、年齢とともに、求めるものに変化が見えてくる。

 

仕事のしすぎでパートナーと別れ、中年以降一人暮らしをしている友人もその一人だ。最近、彼は口癖のように、「一人で死にたくない」と言う。彼は社会的に成功者で、すぐに悪化する疾病をもっているわけでもない。でも、死ぬことを考えると「家族が欲しい」「孤独死はいやだ」と言うようになった。その恐怖の理由を、彼と話し合ったことがある。彼は誰かに看取ってほしい、自分が死ぬ過程を知ってほしいのだという。この「知ってほしい」という欲求がキーワードのような気がした。

 

北鎌倉の円覚者の横田南嶺老師は「人に知ってもらうと、人は安心する。さらに、人以外の大きな存在、それは仏といってもよいし、神といってもよい。その存在がすべてを知ってくれていると感じることができれば、孤独であっても、もちろん、孤独の渦中でも安心がある」

 

毎日のように電車のなかで人々が「つながり」を求めてスマホの小さな画面をのぞき込んでいる。

 

人とのかかわりが薄まっていることへの裏返しなのではないだろうか。自分がこうして世の中に存在していることを誰かに知ってほしい。病気の人でも健康な人でも自分のことを知ってもらうだけで、安らぎを感じるのだろう。

「SNS依存」と「孤独死の恐怖」の共通点 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

# 人によって内容は違うが、恥ずかしくて人に言えなかったとしても、すべてを知ってくれる存在を感じることが少しでもあれば、人は強くなれる場合もあると思うし、孤独死を含め、何でも乗り越えることができるのだろう。私もだが、死は一人で旅立っていくものだと死を知る、心の働きを知っておくべき事柄なのだと。“私も今年60歳”で心臓機能障害で作業強度の増加に伴って心臓機能への負担が高まるため、全てに配慮している毎日です。私のリラックスする予防は映画・音楽鑑賞です。私は願う一人ひとりに合わせた対策をしなければいけないことだ。