将軍家御用達の茶師、池位築いた品々展示 京都・宇治

観光客や買い物客が行き交う宇治市中心部の宇治橋通を歩けば、ひときわ風格のある門が目を引く。徳川将軍家御用達の宇治茶師「上林春松家」の長屋門だ。1698(元禄11)年に起きた宇治の大火で類焼後に再建され、約300年の歴史を重ねている。

 

長屋門の2階部分などを使って「宇治・上林記念館」が開館したのは、1978年1月。現館長の14代・上林春松さん(85)の先代が「古い所蔵品を大勢の人に見てもらえる場所にしよう」と、長屋門の改修に合わせて取り組んだ。

 

丹波を拠点としていた上林家は戦国時代に宇治茶の世界で台頭した。記念館には、秀吉が上林家の屋敷で茶会を開いた際の記録などが展示され時の権力者とともに確固たる地位を築いていた様子がうかがえる。

 

館内では、江戸時代に宇治から将軍家に茶を届けた行列「御茶壷(おちゃつぼ道中」で実際に使われた壷やかごのほか、茶葉を蒸すためのかまどやもむための焙炉(ほいろ)、抹茶に仕上げるための石うすなど古い道具も数多く並ぶ。

 

300年の歴史重ねる長屋門 京都・宇治の上林記念館 : 京都新聞

 

 

 

# 歴史である、栂尾高山寺の僧、明恵高弁によって、宇治に茶園を開いたことが、宇治茶の始まりと言われています。上林春松本店は幕府が消滅した明治維新以降、廃業の危機を迎える茶師が多かった中、それまで将軍、大名など一部の層のみ出されていた玉露を扱い新しい愛飲者を得て、廃業/存続の危機をのりこえた。現在のビジネスだ。当時に新開発であった玉露を経験と伝統の精神を今に引き継ぐ、革新的な宇治茶、日本の茶文化の発展に私たちは感謝しなければならない。しかし、歴史ではあるが千利休茶の湯は秀吉の政治の道具と化して、遠のく利休を自らの手で殺してしまい、導き役を失くした秀吉の暴走が崩壊の憂き目に遭う。これも運命であろう。そして現在の上林春松本店があるのだ。